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  1. アメニティ研究会インターネット会議室(0)(管理人)11/03/26(土)00:21
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脳と個体と私

 投稿者:中谷義雄  投稿日:2015年 5月17日(日)19時42分32秒 125-8-20-203.rev.home.ne.jp
返信・引用 編集済
  脳死状態の個体には「私」は存在しない。(そう思いたくないが)。例えば、将来,脳死に至っていない脳を個体に移植できた場合、その個体のなかの「私」は、以前の私(脳死前の)ではない。私の身体といえるのは、その個体のなかに居る「私」だけである。そうすれば私と脳との違いはなにかという質問に遭う。
生物学の分類で万物の霊長類命名の所以は?
 
 

私が私であること

 投稿者:水野 正彦  投稿日:2015年 5月17日(日)17時23分10秒 101-143-151-189f1.osk2.eonet.ne.jp
返信・引用
  「私は」私の身体の中にあってこそ私なのだ」とおっしゃったことが、ずっと引っかかっています。それはご指摘の通りだと思います。しかし、脳死や植物状態の患者に接していると、その「私自身」と身体とそしていのち(私のいのちと生物に共通ないのちと)について いろいろ気になっています。「私」が「私」であることは与えられた情報に対して 私だけにしか出来ない行動をすることで示されると考えて居ます。
 その 私だけにしか出来ない行動は 私だけの記憶に従って 身体が表現しているのでしょう。(情報処理については別項で考察します)。
植物状態の患者では身体機能は保たれており 「私」がそこに居る条件はそろっているのに 与えられた情報に対する「私」の行動を示せません。身体機能(生命現象)は保たれているのに「私」がそこに居るのなら 一体何をしているのか 居ないのならどこへ行ったのか、一方 脳死の患者では 人工的な呼吸機能代行により 心拍だけは維持されているもののその身体機能はら失われ もはや「私」の存在できる状態ではありません。
こんな状態でも身体のあるかぎり 「私」はその中に存在するのでしょうか。

 脳死と判定して人工呼吸器をはずしたとき「私」はどうなるのでしょう。植物状態や脳死のような 過去には想定外だったこと(生から死への移行について その経過の実態を知らず、いわば完成した状態で対立するものとして捉えた思考が生まれ そのまま主流となっているように思います)ではなく  天寿を全うしたとされる経過でもよく見ると 上に述べた二つの形と共通な問題があります。(死に対する立場については別項で述べます)
 天寿を全うしたとされるとき、「その人」は与えられた情報への反応(意識レベル検査など)が次第に悪くなり、やがて身体上の生命現象も乱れて 心停止 そして死に至りますが、この経過は「その人」が「その人」の体の中にありながら 「その人」であることを止めてゆくのか あるいは「その人」であることを示せなくなって、そして身体が生命現象を止めるように見えます。
 これらに共通なことは身体は「その人」の拠り所 そして「その人」の具体的な表現の道具であること、道具があっても「その人」が働きを止めるか居なくなればその身体は「その人」そのものではなくなるのでは無いでしょうか。(ここでいのちと身体の関係が気になります。別項で考察します)

 私たちは生と死を考え その人に思いをめぐらすとき  つい 人間から考え 人間だけについて考えて居るように思います。
 私たちも生物の一員として昆虫や大腸菌と同じいのちを受け継いでいる そちらから見直すと別な展開が在るように思います。
大腸菌は「私」を主張しないでしょう。しかし一個の大腸菌が生きているには その個体が不可欠ですし、個体だけでは生きているとは言わない 個体の中にいのちが入っていなければなりません。そのいのちは個体を離れて存在することはできず 個体をその存在のための拠り所としていることは明かです。そして そのいのちは個体の動きを介してその働きを示していますが、これも いのちがその働きを示すには個体が不可欠であることを示しています。
 この大腸菌といのちの関係はすべての生物に受け継がれており、人間もその一つだと考えます。このいのちが個体の中で 与えられた情報を処理し個体を介してその判断・決定を実行するのはいのちがその存在を護るための行動では無いでしょうか。個体の中のいのちは一代限りと考えます。それは臨床現場で見てきたことです。来世のいのちとか不滅のいのち(個人として)は考えられません。しかしいのちそのもの・源流のいのちは流れ続けてきましたし これからも続くでしょう。
流れ続けてきたから生物が種として(個体ではなく)生き永らえてきた そして それはこれからも続くのです。
 このいのちが個体の中で働くとき 置かれた環境が単純で身体構造も単純な時その行動は単純なものだったと考えます。
それは現在のいろいろな生物(植物も生物です)の行動から理解できます。
身体構造が複雑になり 与えられた情報を複雑に分析できる構造・能力とその情報を蓄え(記憶)必要に応じて検索し、与えられた情報と組み合わせて提示される行動原案を検討し、最善の案を選択・決定し その実行を身体に命令する そして身体を介してその決定を表現できるようになった、その頂点が人間ではないでしょうか。(情報処理について別項で考察)。
 細胞のレベルでは 与えられた情報と行動が1対1でしたから いのちは何の選択もする必要がなかったのです。決断が複雑化してくるとその個体の中での主体性 更には独裁性が高まり そこから「私」という存在が生まれてきたと考えます。「私」という特別な構成の能力が在るのではなく いのちそのものが自分の決断を裏付けているのでしょう。
この独裁者としての「私」は対応する提案が複雑となり 相反するものの中での選択を迫られるような場面が多くなると その決定をする自分をさらに上から統御し より正しい決定を迫られる場面が起きるはずです。この選択に迷う「私」を統御する「私」を超自我などと捉えていると思いますが、この超自我は「私」のいのちそのものと考えます。(「私」のなかの独裁者は別項で)
 個体の中でのいのちの役割は いのちの拠り所である個体を守り いのちが存在し続けられるよう個体を管理・運営することだと思います。
個体は自らが生きながらえるために働いているのではなく いのちがその存在をつづけるために個体を管理・運営しているのです。そのことは患者の命が終わるときの経過から明かです。(死に対する立場には4つ。1:本人 人 2:家族 3:有識者 4:医師 これについては別に考察します)
臨床の現場で見ていると いのちが その個体の管理運営を終えるとホメオスターシスは停止し 死の状態に移行します。いわゆる天寿を全うした死の経過がそれを示しています。
脳が徹底的に破壊され いのちの拠り所としての構造的支えが無くなると いのちはその働きを表すことができなくなります。そしてその個体の中に居続けることができなくなり 死に移行します。それが脳死の実体と考えています。その中間に いのちが個体の管理・運営をしようとしても個体の構造・機能に欠陥ができて いのちの命令に従えない状態の時 いのちはその拠り所が壊れるため そこに留まることができなくなります。いろいろな疾病のための死がその経過を示しています。
いのちのもう一つの役割は その個体を介して新しい個体を作ることです。個体の発生には その母体になる個体(単為生殖の場合)や卵子・精子(有性生殖の場合)が生きていなければなりません。それは個体の成立が命を生むのではなく いのちがその拠り所となる新しい個体を母体となる個体に作らせていることを示しています。そしてこの新しく生まれる個体の中のいのちは いのちの源流とはつながっているものの「私」のなかのいのちとは別なものであることが明かです。
 

生物と無生物

 投稿者:水野 正彦  投稿日:2013年10月17日(木)00時22分18秒 101-143-149-210f1.osk2.eonet.ne.jp
返信・引用
  いのち・心・魂その他一連の言葉で表されているものについて考えるには 先哲が見てきたように 人間の立場で人間の それも生きている人を中心に考察することも大事だと認めます。しかし 議論百出なのは 目先の現象にとらわれていて 根本をみていないため統一的視点が欠けているように感じるのです。それは 死の現場に立ち会っていると(私は脳外科医なので) 死とは何かと言う議論が全く無意味なものに見えることから 導き出された考えです。(項を改めて述べますが 死というものなどありません。生きていない状態を死と呼んでいるだけなのです)
いのちについて考えるのにまず 命があるもの・生物とそれのない無生物の根本的な違いは何か考えました、
生物は いのちの存在を支えているが 無生物はその働きに関わりが無い事だと思います。
いのちそのものは客観的な証明はできません。個体に起きている生命現象を見て そこにいのちがあると感じます。同じようにいのちの力は個体の行動によってのみ表現されるのです。つまり いのちが存在しその力を表すには個体が必要なのです。しかしそれ以上に重要なことは いのちの継続を個体が分担していることです。それはいのちが発生したときから続いている すべての生物 細菌にも植物にも見られることです。個体の立場では個体の種の繁栄と受け止めるのが普通ですが、いのちの側から見れば いのちだけではできない継承を個体の増殖という現象を借りて行っているのです。
無生物はこのいのちの継承には関与していない あるいは関与できない存在です。それが根本的な区別だと考えます。
そして個体の中にあるいのちは 本質的には 源流となるいのちと同じもの いのちを継承する役割をあたえられて 個体の中に派遣されているのだと考えます。
個体の中のいのちは 個体を管理・運営していのちの累代継承を果たすのです。 それを個体の側から見て 個体の種族の繁栄と受け止めているのです。
更に 個体に託されたいのちは 累代継承が完了すれば役割終了 それが個体の寿命として認識されているのです。
そのような役割があるので 個体の中のいのちは 個体の主体として位置づけられています。それを人間の立場から見れば「わたし」なのでしょう。
わたしが個体の管理・運営をするには外部情報の収集・記憶との照合による行動原案群の提示があり(ここまでは個体の脳の働きに依存)それを閲覧・評価・判断・決定・そして実行命令を出すことが必要です(この部分はわたしの行為)。
そこで個体を借りて私の決定が表現され 相手はその表現によってわたしがわたしとしての存在を示したと受け止めるのです。
個体がこの一連の作業をするわけではありませんが わたしは個体が無ければわたしがわたしであることを表現できないのです。個体それぞれがそれぞれの表現をすることも生物の特徴だと考えますが、それはいのちが個体の中にあることの表現です。
 

やっとパソコンノ前に

 投稿者:中谷義雄  投稿日:2013年 9月13日(金)21時07分19秒 zaqb4dca55b.zaq.ne.jp
返信・引用
  やっとパソコンの前に座れました。
2週間前、重度の肩こりが発現したため強力なバイブレーターをかけた翌日から起き上がれなくなってしまいました。「ロキソニン」、「エペル錠」「貼付剤」で少し改善したところです。
去年、自転車で転倒して額と肩を強打し軽い鞭打と診断されましたが、今まで軽い痛みは残っていたのです。

生命の終わる過程
◆人間が他の生物と異なる1つの特徴は、やがて死ぬということを「知っている」ことだ。
◆死とは機能を果たさなくなることであり、機能の停止によって構造、組織、細胞が崩壊、分解し分子化する。原子の結合体である分子は消滅せず、化学的性質を保って存在しうる。
記憶について
◆動植物は記憶能力があるが、感情はどうか。人間は脳の進化によって形成された高等な感情に支配されている。人間以外の動植物は危険の脅威から逃れるための働きがあり繁殖(子孫を残すための生殖または分裂)や子育てを行うが、感情、信仰は人間のみに備わっている。
◆人の記憶や思い出は生きている間のみで、機能が停止し腐敗分解し分子化すると消滅する。しかし記録に残すことができる。(小説、画像、論文など)
心・霊について
◆心、霊には質量がない。
◆素粒子に質量があり、ニュートリノにも微小質量があることが解明されこの実験からニュートリノが光よりも速いという結果が確かめられた。となると、ニュートンから始まった古典力学と、その矛盾を修正したアインシュタインの相対性力学、さらにそれを進めた量子力学理論がここで一気に崩れることになるのでは?
超素粒子に質量があるということは、質量(重量)のない4次元や5次元という理論的可能性で語られている理論は波動関数上でのみ存在するという空論ではないか。
 

死の過程は4段階

 投稿者:水野 正彦  投稿日:2013年 9月12日(木)22時27分39秒 182-165-175-47f1.osk2.eonet.ne.jp
返信・引用
    大事な亊を言い終わったらコトンと息絶えるというのはドラマの世界だけのことです。現実は そう簡単ではありません。
家族は死別の悲しみで 現実を分析的に見詰めることはできません。医師は死には手が出せません。死後の世界に力のある宗教家は 死(本当は生の終わり)の過程に立ち会うことはありません。そして 生と死についてていろいろな発言をする哲学者も死の過程を知らずに いわば完成した死を取り扱って居るように思います。
 救命救急センターなどで大勢の患者さんが亡くなって行く過程から教えられたことをまとめてみました。皆様のご意見を頂きたいのです。
 一般に 死についての議論は 生に対立するものとして死をとらえているように思います。しかし 死というものは無く 生きていない状態を死と呼んでいるにしか過ぎないのです。それは「明」に「闇」を対立するものとしているのとよく似ています。太古には穴蔵の奧に「闇」が住んでいると考えられた時代がありますが、明るい部屋に「闇」というものを持ってきて ばらまくと その部屋が「闇」の部屋になるのではない カーテンを引いて光を遮れば良いと判ったように 「死」というものは存在しないことがあきらかになってきました。(後日 取り上げて論じます)
           ********
 ICUをはじめ 病院では治療中の患者さんが亡くなる その経過に立ち会うことは むしろ日常的な出来事でした。 それは 家族や第三者(有識者など)とは違う厳しい立場です。生をのばすため患者の状態を絶えず観察し その変化に対応しているのに生が終わってゆく。いわば当事者責任のある経過に立ち会うことだからです。
 その厳しい立場で見ているといわゆる三兆候死(自然死とも言う)でも生の終わりには四つの過程があるのです。
●第一の過程 準備の段階
  今までみられた何らかの意思表示(言葉や表情だけでなく 痛みなどの刺激に何らかの反応を示す事も含め)がなくなる段階です。家族は「ひょっとしていけないのではないか」と感じる時期 つまりこころの準備をしている段階ともいえましょう。「そのひとがそのひと」で無くなって行く過程です。(「そのひとがそのひと」であることについては改めて論じます)
●第二の過程 予感の段階
    やがて 呼吸が乱れ 脈も触れなくなってきます。家族は「これはもういけないな」と 医者の説明などなくても感じるでしょう。次に来るのは死であると予感する時期です。「そのひと」の身体への管理能力が失われていく過程です。(「そのひと」の身体への管理能力も項を改めて論じます)
●第三の過程 実感の段階
    三兆候死なら第二の過程にとどまる時間はわずかで 呼吸がとまり 脈も触れなくなります。皆が知っている死の兆候それも 客観的な現象に基づく その場にいない人でも納得できる判断です。一般にはこの客観的現象を死と捉えています。それ以前は死ではない。このとらえ方は 「人が人であること・第一の過程で消えてしまったその人らしさの根拠」と 「客観的現象として把握できる身体上の変化 生命現象」との混乱があるように思います。
●第四の過程 確認の段階
    医師が現れて「死の宣告」をすることにより 法律的にも死が確認されますが 医師が死を決定しているのではありません。医師の「死の宣告」は 「生の兆候がないことの確認」です。これがそろえば死とするというような基準はありません。
この四つの段階は いわば手順良く進行し 途中で立ち止まることはありません。そしてなによりもそれが正常な死の過程として 古来すべての人 すべての社会に容認され受け継がれています。宗教もその成立以前からの文化を引き継いでいるのでしょう。
脳死が問題になるのは この第一・第二の段階を欠いているため家族は心の準備ができていないのに 第三の段階に直面していることだと見てきました。しかも 人工呼吸器が働いているため第三の段階は際限なく続く可能性を秘めているのです。(脳死についても改めて論じます)

 

小出さんに捧げる

 投稿者:水野 正彦  投稿日:2013年 8月29日(木)21時26分18秒 182-165-173-59f1.osk2.eonet.ne.jp
返信・引用
         これから始めるシリーズは本会の創始者・小出さんに捧げます
 古来 こころとからだは哲学の主題の一つでした。そして いまも結論が出ていません。
それは こころと命の取り違えや 曖昧なままのひとまとめによる議論に齟齬があり さらに こころも命も人間だけにある あるいは人間だけに許された高度な働きあるいは高級な能力とする発想に原因があるように思います。
私は哲学者ではありませんから(脳外科医・三次救急にも関わってきました) ひとを納得させたり説得するような言説はできませんが、問題点を指摘して議論に火を付けることはできます。
 哲学は生と死を all  or  nothing  の立場でみていたと思います。いままで哲学の視野になかった 命の終わりがどんな経過をたどるのか それを見直すことで新しい展開が起きるのではないかと感じています。

 私たちは からだの存在を五感で確かめることができます。からだは空間的な場所も占めており 物理的存在として確認できますが、こころそのものは実体が不明です。私たちが心の存在を認めるのは からだの表現を介してのことです。 こころの働きあるいは力を感じるのはそのからだの行為を介してです。(しばらくは 一般的な表現に従ってこころといのちを区別せずに心として述べてゆきます。後日 取り上げます)               そして そのひとがそのひとであるのは からだではなく その人のこころがからだを介して表現しているのにしか過ぎません。
 からだが人類に共通であることは 医学の前提条件です。共通であるから 輸血(臓器移植の一種です)もいろいろな臓器の移植も可能なのです。いろいろな特徴で個人を確定しますが、表面的な特徴にしか過ぎず からだそのものに個人差はないのです。
********
 ここでいくつかの問題が提起されます。
*心とはなにか・いのちとの関係・いのちとは何か・人工生命はできるのか。
*その人がその人であるとはどういうことか。
*記憶について(保持時間の長短とか記憶の場所の問題ではなく「私にとっての重要性」で見直すと 潜在意識や無意識の意識などということば遊びのような概念も簡潔に統一的に理解できます。)
 これらの課題は いのちが終わる過程を知らないと 今までの考えを踏襲するだけに終わるでしょう。次回は前提となる命の終わりの過程を取り上げます。


命が終わる過程
死者の命はどこへ
わたしがわたしであること
記憶について・記憶の始まり・記憶の種類
認識するとは・認識の階層構造
自律神経系の本来の役割・記憶との関係で

こころといのちの関係
こころとはなにか・いのちとはなにか
私の役割・なぜ生きねばならないか
 

ご退院 お喜び申し上げます

 投稿者:水野 正彦  投稿日:2013年 8月10日(土)23時14分18秒 101-143-147-222f1.osk2.eonet.ne.jp
返信・引用
  中谷義雄さんへ

>手術が無事終わったようですね。お目出度うございます、。結果はいかがでしょうか
パソコンの故障もやっかいですが、これは 何とでもなりますし 買い換えでグレードアップできますので、ある意味では良いきっかけだったのかも知れません。
 

両眼の手術が終わったら

 投稿者:中谷義雄  投稿日:2013年 8月 8日(木)00時36分58秒 zaqb4dca2fe.zaq.ne.jp
返信・引用
  水野先生へ
両眼の手術が終わったら、パソコンが壊れていました。今日新しいパソコンが稼働しました。
まずは、報告まで。
連日猛暑が続きますが、体調いかがですか?
 

Re: 休んでいます

 投稿者:水野 正彦  投稿日:2013年 6月 8日(土)22時17分34秒 182-165-199-108f1.osk2.eonet.ne.jp
返信・引用
  > No.49[元記事へ]

中谷義雄さんへのお返事です。

両眼の白内障手術で、目を使えません。よろしく
白内障で苦しんでいらっしゃることは存じ上げませんでした。しばらくはご不自由でしょうが、「まるで世界が変わったみたい」というのが手術を受けた患者さんに共通の感想です。中谷さんにもそうなっていただきたいです。どうかお大事に
 

休んでいます

 投稿者:中谷義雄  投稿日:2013年 6月 8日(土)22時03分6秒 zaqb4dca121.zaq.ne.jp
返信・引用
  両眼の白内障手術で、目を使えません。よろしく  

いのちと私のからだ・わたし    教えてください

 投稿者:水野正彦  投稿日:2013年 5月29日(水)12時20分35秒 p2182-ipbf915osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
   拙文に眼を通していただき ありがとうございます。中谷先生の御発言は 新たな疑問を目覚めさせます。そ
 れについては後で提示するつもりですが、考えを進める上で 教えていただきたいことを幾つか上げます。

1.引用された文言も含めて すべて人間についての考察だと思います。
  たとえば人間の意識が物質化現象を起こす・・・ 動物には それも単細胞の脳など無い生物や 植物ではど  うなるのでしょう。今は云う人が居なくなった動物機械論の変形のように感じます。

2.いのちと私の身体の関係も気になります。
  私の体の中で いのちは何をしているのでしょう。私たちの身体はいのちに何をしているのでしょう。
  いのちそのものについての議論は きわめて困難ですが、上に挙げた疑問は考えることができそうです。そし  てそれはいのちそのものについての考えを深めてゆくための手掛かりになりそうに思います。

3.自我とか真我など難しい言葉が出てきますが ブラックボックスか 葵のご紋が描かれた印籠みたいに見え
  ます。このような印籠を理解できない嬰児には どのような世界があるのでしょう。さらに 疾病や外傷で   高度の脳損傷を受けた人はどうなるのでしょう。植物状態や脳死のばあいを思い出しながらの疑問です。

4.潜在意識も気になる言葉です。
  医療の世界では 身体に与えられる刺激に呈する身体の反応で意識の様子を判断します。
  (精神かでは少し違う)  潜在意識などという時は 身体ではなく「こころ」の反応の仕方を云うのでしょう  か。それは私の体の中にいるいのちとの関連ではないでしょうか。             とりあえずこのあたりまで
 

信仰と神・佛

 投稿者:中谷義雄  投稿日:2013年 5月26日(日)03時18分27秒 zaqb4dca858.zaq.ne.jp
返信・引用
  流れ落ちる時計を描いたダリの絵の意味について
◇特定の文明だけに通用する時計に納得できなかったのでは?という考え方もあるのですね
◇誕生、そして膨張を続ける宇宙の時空は確実に流れていますが、3次元の世界でしか物を可視できない人類は時計を発明し、地域の文明は時間と約束に縛られて、それぞれの基準を作り上げてきた。
記憶の固執で描かれた柔らかい時計は、相対性理論の時空の歪みに見え、生と死、矛盾を表現しているという見方もある。
◇一神教の経典は量子力学を否定し、進化論を否定している。(古くは地動説を否定)
一神教の教義は意志を持つのは神のみ、人間は神の下僕であり、神のみぞ知ることになり、神の思し召しに従う。
しかし仏教の経典に量子力学を否定するフレーズはない。万物の共存と輪廻の思想は量子力学と融合するのである。
◇物理学者スティーブン・ホーキング博士が、英紙ガーディアンのインタビューで、「天国も死後の世界もない」と語った。(2011年 ロイター/Sheryl Nadler)
さらに、ホーキング博士は「(人間の)脳について、部品が壊れた際に機能を止めるコンピューターと見なしている」とし、「壊れたコンピューターにとって天国も死後の世界もない。それらは闇を恐れる人のおとぎ話だ」と述べた。
また、1988年の著書「ホーキング、宇宙を語る」で世界中に広く知られるようになった博士は、2010年の著書「The Grand Design(原題)」で宇宙の創造に神の力は必要ないとの主張を展開し、宗教界から批判を浴びている。
◇先日の新聞によると「法王が悪魔払い!?バチカンは否定」という記事が掲載されたが、バチカン報道官は「いつものように病気の人に祈りを捧げただけ」と打ち消したが、新約聖書にはキリストが悪魔払いをしたと記述されており、カトリツク教会はエクソシストを公認しており、旧法王ヨハネ・パウロ2世も悪魔払いに理解を示した、と記述している。
◇「神様が宇宙誕生にかかわりがないなんて口が裂けてもいえない。それは心の中の愛がゆるさない。『自然のすべてが神の存在を示している』と聖書に書かれてある」。とキリスト教信者K氏はホームページに公開している。
◇心理学説を見ると、「最新科学(量子力学)を学べば、髪を否定できなくなる。」と説明している。
  4次元、5次元についても、次のように説明していますが、私には理解できません。

万物の正体を解く量子力学
悉皆仏性とはすべてが神だと言うことです。神でないのは、自我(偽我=表面意識)だけなのです。神は神でないものをただひとつだけ例外として創造しました。それは自我です。自由と束縛など相対的なものはすべて自我による認識です。自我が存在するから相対世界は存在し、生滅の世界が存在します。無我の境地(純粋意識=真我)になれば永遠の世界が見えてきます。自我による生滅の世界が消え、永遠の世界が顔を出してくるのです
自我による世界は量子力学の言うようにバーチャル世界であり、幻影なのです。潜在意識の一番奥にある真我が本当の自分自身です。この真我が全く神と同じ存在であり、永遠なる唯一の実在なのです。

原子核の周囲にイオンが霧のように存在します。<o:p></o:p>

 これは波動方程式で表記されます。波動方程式には波動関数が含まれています。
 この波動関数が収縮したときに初めて潜在したモノが現実界に現れ、物質化します。
 波動関数が収縮しない限り物質は存在できません。
 では、この波動関数を収縮させるものは何か。
 実に、これは人間の意識なのです。人間の意識が物質化現象を起こすのです。
 驚くべきことに、すべてのモノは、意識が無いといつまでも潜在したままの状態で、表面化せず、 物質化できません。意識がないと、物質は存在できません。
 

信仰と神・仏

 投稿者:水野 正彦  投稿日:2013年 5月22日(水)13時07分53秒 p2182-ipbf915osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  ダリは 「神を信ずるが信仰は持たない」と言っているそうです。

ダリらしい言葉だと思います。
これを聞いて 流れ落ちる時計の絵の意味が判ったように思いました。

時は時計ではかれるものではありませんが(一般には 時と時間・あるいは時刻と混同していると思います) 私たちは時計がないと時刻が判りません。時の経過も曖昧です。
しかし、時刻を知らなくても時を感じることはできます。
時を感じなくても時は流れています。
そして私たちはその時を知らなくてもその中で生きています。
さらに死も(私は生の終わりで 死というものを認めませんが)その時の中で起こる事です。
私たちは自らの努力では何もできない時の中で、その時に支配されながら生きています。しかも時を信じるか否かに関わらず生きています。

時は私たちを区別せずに一団として見ています。
しかし 私たちは地域によって 自分たちの都合で時刻を決めています。
しかもその時刻はその集団で統一されています。そうしないと地域の中での生活に支障があるからです。
時計を用いていろいろ計測し 比較し 時間的経過を計量しているという反論があるでしょう。しかし これは人間が時の中にあることを確認しているにしか過ぎません。
時は動物も植物も包み、同じように流れています。そのような「絶対的・時」に対して「人間が計測する・時」は人間だけの基準にしか過ぎません。

神は信仰という時計を使わないと認識できないと信じられています。
そしてその集団専用の時計(信仰)を使って神を確かめようとしています。
地域ごとに標準時間があるように 集団毎に基準(神)を決め その教えをまもり、それに従っています。
ダリは 時計の有無や地域の標準時間などに関わりなく時が流れているように 信仰の有無やその違い等に関係なく すべてを包んでいる神が存在する 目先の違いで優劣を争う神でなく絶対的な神があると言いたいのでしょう。
画家ですからその思索を絵に纏めたのでしょう。

絶対的・時を 時計ではかって認識しているのと同じように 神を認識できるように信仰が仲立ちをしているのだと考えます。しかし現実には 私の時計だけが正しいと言う主張が多すぎます。その現実に悲観して ダリは信仰を否定したのではなく拒否したのでしょう。個々の時計がそれぞれの時間を作っている現実に染まりたくなかったのでしょう。彼の作品が 特定の集団のためではなく 広く世界中の人たちを対象にしていたから 特定の集団だけに通用する時計では納得できなかったのでしょう。

しかし私たちの現実は 地域のなかで生きています。そのためには地域の時刻を表す時計が必要です。私たちはこの時計を頼りに 時を見失わずに生きることを願っています。そしてその時計のゼンマイを巻いてもらう必要もあるのです。時計が正しく動くためには 手あかに汚れ ちびてしまったねじではだめです。きらきら輝くねじで 力強く巻いてほしいのです。見慣れた 古いねじの方が安心だという反論もありそうですが。
 

リブロ会の課題書「臨死体験」について

 投稿者:中谷義雄  投稿日:2012年10月21日(日)21時58分33秒 zaqb4dca3d5.zaq.ne.jp
返信・引用
  リブロ会10月度例会
「臨死体験(下巻)」について              中谷義雄 2004・10・15

はじめに、私は無神論者ですが、先祖の墓参りをし、仏壇に火を灯し拝んでいます。先祖を敬う心からです。日本民族の習慣としてお寺や神社にも参拝しています。臨死体験や体外離脱、輪廻転生など心霊現象について否定はしませんが肯定もしません。理解できないからです。科学で証明出来ないことが多過ぎます。
臨死体験は心理学の領域で、潜在意識も魂の世界ということでしょうか? また脳科学では大脳新皮質の側頭葉に書き込まれた「長期記憶」が、その役割も担うということでしょうか。つまり脳死体験は長期記憶(潜在意識)から再生(想起)された幻覚(夢)なのか?

精神科医の概念

潜在意識は精神科医も認めており催眠療法を行っている。
しかし、潜在意識についての精神科医と心理学(臨床心理士)の定義は違っている。

催眠療法の定義=「潜在意識に潜む種々の問題を解決するため催眠療法を使って神経症状の改善を図る。」と定義している。
精神科医の潜在意識は、「潜在意識に否定すべき思考やトラウマからの脱却やストレスなど種々の問題が潜んでいる。」ということか?
意識の概念=意識を構成する3つの要素「清明度」「広がり」「質的」がいずれも低下していない状態。五感に対する刺激を感じとることができ、脳の働きが活性化している状態を「意識がある」といい、逆に五感に対する刺激を脳で認識できない状態を「意識がない」という。精神分析学では人の心を「意識」「前意識」「無意識」の3つに大別し、意識とは自身が現在認識している内容を指す。と定義している。一般に意識とは「今している事が自分で分かっている状態」のことであり、認知とは「事象について知ること」であり、無意識は「意識を失っている状態」である。
  精神分析の用語としては「本人は意識していないが、日常の精神に影響を与えている心の深層」と定義されている。(広辞苑)精神分析学では「勘」は潜在意識に入っている情報に基づいた発想と定義している。

医療行為=精神医療は、精神科医によって行われている。(一部では臨床心理士(日本臨床心理士資格認定協会―民間の認定資格)が医師の医療行為の補助を行っているが、単独で医療行為ができない)
    心理学は、脳医科、精神科のような医療とは無関係である。《臨床心理士は国家資格ではないので独自で医療行為ができないと軽視されているようである(財団法人日本臨床心理士資格認定協会の認定資格)》心理学は医学ではない。
セラピー=精神科医は幻聴、幻覚、妄想などを症状と捉え精神分裂症と診断する。
霊魂= 医学(精神科医)は霊の存在を無視している。

心理学の概念、定義

① 「臨死体験」は心理学者などによって研究されており。潜在意識(無意識)、顕在意識(表面意識)といった心理学で使用されている用語を次のように定義している。

潜在意識(無意識) =一般的な定義は広辞苑によると、潜在意識とは「自覚されないまま潜んでいる意識。二重人格などの分離意識」と認知されている。
心理学では一般的な概念からさらに「潜在意識は人間の意識の大部分を占め、顕在意識(表面)に影響を与えている。人間の行動、人格、性格に多大な影響を及ぼす。刻印された否定的情報、肯定的情報によって人格に影響を与える。」「本人は意識していないが日常の精神に絶えず影響を与えている心の深層」と定義している。
無意識とは、精神医学、脳医学の定義は「意識を失っている状態」であるのに対して心理学の場合は潜在意識と無意識が同義語である。
顕在意識(表面意識)=一般的な意識は「認識し思考する心の動き」と説明している。認知とは「事象について知ること」と定義している。辞書には顕在意識、表面意識という単語は無い。
心理学では、意識の2重構造(ジクムント、フロイト)
潜在意識(無意識)――意識していない部分(普段の行動、思考、意思決定に大きく関与している。
¨顕在意識(表面意識)――意識できる部分
――潜在意識からさらに分解できるとした心理学者(カール、グスクフ、ユング)は、人間が意識している顕在意識は氷山に例えれば一角で、海中に沈んでいる大部分が潜在意識(無意識)によって構成されると解き、さらに、この潜在意識(無意識)部分は、生を得てから現在に至るまでの個人的経験から構成された個人的無意識と、そのさらに奥深くに広がる集合的意識とから構成されているという。
さらに潜在意識が成功法則や願望実現と深く結びつくようになるという――
(マーフィー)説

② 心理学における心の傾向性について
心理学では、潜在意識の概念は以下のように3つに分けられている。
   ①現在の心の傾向性(生まれた後に形成された部分)
   ②本来の心の傾向性(魂のDNA、種としての部分)
   ③真の潜在意識(霊体としての自己の全エネルギー)
 潜在意識について、精神世界または宗教の世界においては、③を指し、①は生まれてから形成された部分、つまり現在の心の傾向性、自己暗示の世界を指し、成功哲学※の分野では、①と③の両方に係わっている。②は肉体に宿る魂を指し、魂の遺伝子DNAは個性であり、個性とは心の傾向性のことでカルマとも言うそうである。この違いを確認しないで話をすると、互いに相手の言う意味を正しく理解できない事になる。

③ 臨死体験、体外離脱は潜在意識が描く妄想という論旨は?
臨死体験談は数多く紹介されており、精神病や薬物の妄想ではなく正しくない想念と否定している。天国的な気持ちよさも体内から出る幻覚物質による作用も臨死体験に直接関係がない。

④ 臨死体験、心理学、セラピーの相関関係について。
  すべて相関関係にある。分析心理学においては夢やイメージなどを無意識からのマテリアルとして研究しセラピーを行っている、霊魂、心霊現象の存在を認めており、臨床体験も同様の見地から考察することが可能であると考えられている。

⑤ 心理学と魂
心理学と心霊、魂は相関関係があり、心理療法によるセラピー、カウンセリングが行われている。
宗教のセラピーとの違いは手法の違いである。
――医学は(肉体)をマテリアルとしているため医学的観点からは認め難い。(医学は理系、心理学は文系)――


私の所感

① 臨死体験について
1)臨死体験は死のストレスが間脳に刺激を与え、それが側頭葉に刺激を与えて起きるとすれば、脳は機能停止に近い深い感覚遮断状態にあり、現実と幻覚の区別がつかず本人には現実に起こったとしか思えないのではないか。
立花隆は現実体験説と脳内現象説と、どっちが正しいのかという結論は出していない。ただ立花隆自身は脳内現象派で、この本では脳内現象説が正しいようにも書かれている。
現在、研究者の中での正式な臨死体験の定義は定まっていない
脳が緊急事態にあるとき(医学的に意識がないとき)と夢を見ているときでも脳、心臓、呼吸等の器官は働いている。しかし脳は覚醒状態であるのにカラダ(筋肉)は動かないし、(金縛りの原理)直感も5感も働いていないが潜在意識(長期記憶)は働いており、睡眠では脳の理性を司る部分は働いていないため現実離れした夢を見る。夢と臨死体験は同じ原理ではないか。これらの臨死体験は、おおよそ阿弥陀経に描かれている世界にそっくりである。なぜ地獄の臨死体験が殆どないのだろうか。人は死ぬと必ず極楽へ行くのだろうか?宗教への信心と深い教えが潜在意識となり働くのではないか。
臨死体験中に何とも言えない気持ちよさについて、人間の脳の働きには、とてもうまい仕組みがあって、死に匹敵するような苦痛があると、その苦痛を和らげるようなホルモンが分泌されることにあるのではないか。

② 心理学としての潜在意識と記憶形成時の影響について、
1) 先入観(固定観念)やトラウマ、恐怖症などの負の潜在意識が記憶形成時に影響するのでは?
2) 潜在意識が記憶形成時に影響し潜在意識に上書きされるのではないか。
3) 潜在意識については長期記憶の中にある潜在意識という位置づけをしてる。したがって想起できるのは事象の記憶(思い出)だけであり、トラウマや高所恐怖症、嫌いなもの、怖いもの等々の負の部分とその逆の部分が潜在意識であると思う。
4)事象が記憶されるとき直感(心)、五感が働く。衝撃的な事象は具体的に鮮明に記憶され、事象が強烈であるほど克明に記憶されやすい。反面、抽象的記憶(造語)は潜在意識とならない。また無意識に働いている潜在意識が直感に影響を与えるのではないか?
5)潜在意識は、過去に経験したすべての情報(見たこと、体験したこと、感じたこと)が意識として保存されていて、人を形成しているプログラムの場所であり、この潜在意識のプログラムに基づいて無意識に(思考し)行動している?
否定的(または肯定的)な感情や、習慣、信念、観念などがプログラムされていたら、無意識にそのブログラムに見合った思考や行動をすることになるのではないか?
 6)私たちが起きている間、意識、五感が働いている。つまり意識とは「今していることが分かっている状態」「感覚的知覚に対して思考する心の動き」である。
心理学はこの状態の概念を顕在意識(表面意識)と表現しており、意識全体のほんの数パーセントにすぎず、意識の大部分を占めている潜在意識は、いわゆる無意識の領域であるとしている。
しかし一般には顕在意識という語はない。

③心霊現象は科学で証明できるか。
現在人の脳能力では解明が不可能である。膨張する宇宙サイズも宇宙科学の進歩によって年々書き換えられ広がっているが、有限から無限への膨張は矛盾がある。宇宙の外側に何があるのかの問いにも答えられない。無限の定義も曖昧で、人間の脳力(能力)はまだ幼稚である。霊魂の存在も科学的に証明しきれない。答えに行き詰まれば「神のみぞ知る」「神のおぼしめし」で一件落着の人間圏。心霊を信じる者と信じないものとが対立している。無神論者は心霊現象も信じない。

④心霊・神霊・悪霊・偶像礼拝・霊媒の存在は信心次第。
キリスト教の三位一体の概念は「父なる神」「神の子イエス」「精霊」である。
偶像礼拝について、プロテスタントは偶像を拝まない。

⑤遺伝子の記憶について、
  虫の行動・胎児の行動・生殖行動は遺伝子が記憶している。人種、地理的、環境の違いを遺伝子が記憶し、性質、性格を遺伝するか。心理学では。

⑥善悪は意識している時、5感が働いている時のみ判断できる。《心理学でも善悪は表面意識(顕在意識)で考え、潜在意識(無意識)は働かない》と定義している。

⑦ 潜在意識とサブリミナルについて
サブリミナル【subliminal】とは「潜在意識に働きかける様子」を意味の単語。
静止画像を連続して表示する事で成立している動画の中に、1コマやそれと同程度の非常に短い時間だけ別の画像を混ぜ込むことにより、視聴者に気づかれる事無く混ぜ込んだ画像のイメージを潜在意識下に植えつける事が出来ると言われている手法である。
  「混じっている事自体にも気づかないほど一瞬」の情報だと、意識できる程はっきりした情報として感知できないが、そのような画像が視覚情報として得られたという事自体は脳が認識しているため、無意識の中にその情報が刷り込まれてしまう。
理性で制御できる意識下の情報ではないため、人はそうやって刷り込まれた情報に自然と従ってしまう行動が「サブリミナル効果」の概要である。
※韓国、中国の日本人向けプロバカンダに利用、オウム真理教も使っていた
番組制作会社が作成したものでТV局は気付いていない。


《辞書に載っていない心理学言語》
成功哲学=目標を達成するための思想や手法を法則化したものである。成功者の行動や思想を分析し、それを模倣することによって同じ効果を得ることができるという考えに基づく。簡単に言えば「自分(心の持ちよう、信じるもの、意識、癖、行動など)を特定の形に変えれば人生が素晴らしいものになる」という考えである。(広辞苑にない言葉)
顕在意識=表面意識ともいう。意識できる部分。意識の通念と同じである。
魂の遺伝子=本来の心の傾向性(魂のDNA、種としての部分)肉体に宿る魂を指し、魂の遺伝子DNAは個性であり、個性とは心の傾向性のことでカルマとも言うそうである。
心の傾向性=潜在意識の(3つの)概念。
体外離脱=辞書にない言語。幽体離脱と同義語、生きている人間の肉体から、霊魂(魂や意識)が、その霊体と肉体との中間に位置する幽体を伴って抜け出すという、心霊主義での現象。
 

記憶形成時の潜在意識の関わり

 投稿者:中谷義雄  投稿日:2012年 9月28日(金)16時51分42秒 zaqb4dcaaa1.zaq.ne.jp
返信・引用 編集済
  記憶形成時の条件について
◇ 事象が記憶されるとき直観、五感が働く。感覚器官の違いによって,視覚的記憶もあれば聴覚的記憶もある.記憶内容によって具体的記憶もあれば抽象的記憶もある。この時同時に意識の大部分を占める潜在意識が直観記憶に影響を与えるのではないか。

◇ 私たちが起きている間、顕在意識(表面意識)が働いているが、意識全体のほんの数パーセントにすぎず、意識の大部分が潜在意識であり、いわゆる無意識の領域である。
◇ 潜在意識は、過去に経験したすべての情報(見たこと、体験したこと、感じたこと)が保存されていて、人を形成しているプログラムの場所であり、この潜在意識のプログラムに基づいて思考し行動している。もし、否定的な感情や、習慣、信念、観念などがプログラムされていたら、無意識にそのブログラムに見合った思考や行動をすることになる。

潜在意識
① 潜在意識は生まれた後に形成された= 現在の心の傾向性
② 魂のDNA = 本来の心の傾向性(個性)
③ 霊体傾向性(?)
◇ 以上が私の「人の意識の大部分を占める潜在意識が直観に影響し、新しい記憶形成時に関わるのではないか」という考え方です。
◇「意識の定義」「記憶」という難解な問題は前回では、充分理解を得ることが出来ませんでしたが、今回「記憶形成時」の潜在意識の関わりについて述べてみました。
また共通認識、客観的、普遍的事実、言葉、辞典、学問といった記憶形成「意味記憶」については前回に学習した。

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記憶の想起について

 投稿者:中谷義雄  投稿日:2012年 9月 8日(土)00時25分2秒 zaqb4dca381.zaq.ne.jp
返信・引用
  記憶形成時の条件、状態が記憶の強度に関り意識にも影響するのでは?
人は死の瞬間に何を想起するでしょうか?これは前回のテーマとも関係がありそうです。
ところで、次回アメ研のテーマはまだ決まっていないようです。
 

臨死体験について

 投稿者:中谷義雄  投稿日:2012年 9月 4日(火)15時27分52秒 zaqb4dcb008.zaq.ne.jp
返信・引用
  臨床体験は心肺停止による肉体の生活反応の停止と脳死に至っていない状態でみる幻想ではないか。奇跡的に蘇生したときに脳が記憶していた。(いわゆる金縛りの原理と似ている)
私は死ぬ直前の短期記憶(海馬)と、海馬が引き出す長期記憶(大脳基底核、小脳)に意識が働き(加わり)歪曲されたドキュメントではないかと考えてみた。
つまり記憶と意識が交差して作り出される非現実的な幻想であるとすれば、去年の4月例会のテーマ「記憶」で私が述べた意見が解明の糸口になるかも知れない。臨床体験者が宗教や臨死体験談を長期記憶していた場合の幻想か、いまだ解明されていない「脳機能」によるものかは断言しないが、現時点で私は前者を信じる。
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4月度例会課題== 記憶                 中谷義雄
◇「脳と心」について水野先生に4月度の月例会の課題に採り上げるよう、お願いしていたところ、これは途轍もない大きな課題で、先生の話から、この場で一年間毎日議論し続けても答えの出せない課題であることが分かった。だから水野先生は、「記憶」に絞られたと思う。「記憶」については「意識と記憶の関係」という壁に突き当たった。まず、それより前に「脳と記憶のメカニズム」から学び直す必要があった。
◇「記憶」という難題を調べているうち、記憶は意識と繋がっていて、「意識とは?」(生物とロボット)「意識と概念」「概念と定義」を語るとき、以前、課題にしたかった「脳と心」という途轍もない問題が、生理学に加え、哲学の定義の範疇にあることを再確認した。
したがって、今回は「記憶」というテーマのうち、「夢」に絞って考察してみた。
◇夢を見るのは人間だけの特権でない。猿、馬、犬、猫なども見るらしい。また「失神している」「意識が無い」という状態について、という内容に触れると複雑になるので迂回することにした。
◇「夢」の正体は何か?「夢」はなぜ忘れるのか?
① 夢の正体は直前の短期記憶(瞬時記憶)に意識が働き、意識の中の願望、恐怖などによって、眠る直前の短期記憶(海馬)と、海馬が引き出す長期記憶(大脳基底核、小脳)に意識が働き(加わり)歪曲されたドキュメントであると考える。

②夢はなぜ忘れるのか?
睡眠中、夢を見ているときは目を閉じていて視覚は現象を捉えていない。
海馬は陳述的記憶(瞬時記憶)の際、大切な役割を果たすが、すぐに消える。
睡眠中の夢は、海馬が短期記憶のほかに、脳の別の部分にある過去の記憶(長期記憶―手続き記憶)から、必要なときに必要な情報を瞬時に引き出し、状況に応じて分析する役割も担っていて夢となる。海馬の瞬時記憶は目が覚めると消えてしまう。夢の中で作成された長期記憶(昔の思い出)と眠る直前の瞬時記憶をドキュメントは海馬の働きによるもので、瞬時に消えて長期記憶は影響されない。
記憶は記銘(覚えること)と想起(思い出すこと)があり、想起することは、作り出すことでもあって、そこに歪曲が起こる。記憶は不確かな部分が相当あって、「記憶=事実」と判断するのは危うい。睡眠中、「海馬」が記憶を呼び戻しているだけである。
海馬に眠る直前に記憶した現象(強烈なテレビドラマなど)の記憶が残っていて、キーワードとなって検索され、呼びだされた長期記憶が交錯して現実離れした夢となるのではないか。
 

原子力発電全面廃止のこと

 投稿者:愚泉  投稿日:2012年 8月26日(日)22時58分18秒 zaqb4dca4ad.zaq.ne.jp
返信・引用
  原発全廃運動の国内世論が拡大している。日本のエネルギー政策転換は日本の存亡係る重大問題である。

●政府が提示した選択肢は、①案0%、②案15%、③案20~25%は間違っている。
正しい選択肢は、①原発を全廃する、②原発を継続する、の2者選択であり、政府が提示した②及び③案は段階的手順により全廃を目的としたものであり、2者選択では、①案の範疇に入る。私の案は次の2案しかない。
① 案は福島原発事故を機に反核思想活動家を中心にデモが起き、日本人の核アレルギー、を増長させている。今回の事故は人災であり、放射能は人間の機智で防げるものである。
福島原発事故は安全管理、事故への対応を疎かにした例であり全廃案は非現実的である。
政府が提示した3つの選択肢は、10年という短期間で廃止は絶対に不可能である。
始めから原子力発電廃止であるからの発想であり、まさに無責任な案である。
② 案の継続案は国際情勢や国情からみて現実的であり最善である。原発全廃に起因し生じる問題は、日本の存亡に係る重大問題であり、40余年進めてきた原発エネルギー政策は継続すべきである。
継続せざるを得ない理由は、原発廃炉に代わる化石燃料依存が国際紛争、輸出側戦略による供給不安やコスト高、等々問題を抱えており、自然エネルギー転化も地理的、コスト面、安定供給、実現性等、非現実的である。
●原発を全廃するには核物質の保全処理に途轍もない莫大な費用負荷による、日本の財政危機を加速させる。稼働すれば保全管理費用は利益と相殺できる。
また世界の原発建設は1924年米国スリーマイル島、1986年旧ソ連チェルノブイル、2011年日本福島原発事故にも関わらず、2012年7月5日の時点で、
稼働中 427
建設中  75
計画中  94
合 計 596
となっているのが現実である。「核アレルギー日本人」が原発を全廃したにも関わらず、中国、韓国、ロシアおよび北朝鮮の核兵器への懸念は拭えず空理化する。残念ながらこれが国際常識なのである。

●過去世界の原発事故の要因はすべて人災と言える。保全に瑕疵があり、適切な保全管理が欠如していたために起きたことは、事故が起こってからわかったことである。
原子力は人類に残された最後のエネルギーである。
 

休眠ではなく居眠りしていました

 投稿者:中谷義雄  投稿日:2012年 8月26日(日)22時35分7秒 zaqb4dca4ad.zaq.ne.jp
返信・引用
  アメニティ研究会はリブロ会(読書会)を加えて発進しました。せっかく設けた欄ですので会員同士とは言わず、一般の方の参加も許可します。  

水野正彦兄へ

 投稿者:中谷義雄メール  投稿日:2011年 8月24日(水)13時52分37秒 121-82-131-95f1.osk2.eonet.ne.jp
返信・引用
  水野正彦兄へ
今日、お葉書が届き拝見いたしました。
6月の例会では、課題を設けずに「アメ研の研究課題の視点と考察」について、と「ホームページの編集と活用」について、意見を交わす会にし、会長の辞任と後任の選任を議題にしたかったのですが、出席が会長と私のほか2名でしたので、出来ませんでした。
7月の例会は、私のほか奥村、西岡、辻さんの3名が出席しました。(進藤さんは出張で来られませんでした)
7月では会長が辞任されることについて、ご意向を伝えるだけにし、後任を選任するまでは至りませんでした。実は、全員に手紙を出して、皆さんのご意見をお聴きすることも考えましたが、大事なことですので、過半数が出席した時に直接、話し合うべきだと思っていました。8月度は奥村さんと辻さんだけでしたが、会長からの葉書を見せてもらいました。掲示板を見ていなかったので、会長が随分気にされていることに気づかずに、申し訳なく思っています。
再開の発起人の2人が辞められて残念ですが、せっかく小出さんの遺志を継いだ会ですので、今後も存続させて頂き、再興のために努力したいと思っています。今後もご指導お願い申し上げます。

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このたび、小出さんが専務理事をしていた「社団法人シルバーユニオン・おおさか」の理事長に就任しましたが、これを機に当会の奥村さんと辻さんが入会されました。(社)シルバーユニオンで小出さんと共に続けてきた「リブロの会」は現在も毎月続けており、主旨に賛同する会員の参加も期待しています。
 

時期会長選出のことで

 投稿者:水野 正彦メール  投稿日:2011年 7月 5日(火)21時22分20秒 119-228-132-197f1.osk2.eonet.ne.jp
返信・引用
  小出さんの遺志を継ごうという話し合いに参加した 限られたメンバーの中で 私が会長に推されて一年になります。立ち消えになりかけた会を続ける形にできたことで 私の役割は果たせたように思いますが 他方 多くの方の足が遠のきました。主題の選定や話題の進め方などで 多くの方の期待に応えていないためだと思います。小出さんの時にも 私が発言すると会場全体がしらけることが少なくなかったので 常々気をつけているつもりですが、直りそうにもありません。早急に新会長をたてて気分を一新し 会の再建を図る必要があると思います。 個人的なことですが、11月末までは 時々信州へゆかねばならないことがあり 例会の出席も不確実になるという事情もあります。
次期会長選出のことは中谷事務局長に依頼してありますが、話題にしてもらえないおそれがありますので この場を借りて会員の皆様に 公開しておきます。
 

4月度例会のテーマについて

 投稿者:水野正彦  投稿日:2011年 3月22日(火)15時45分1秒 60-56-220-118f1.osk2.eonet.ne.jp
返信・引用
  お忙しい中からのお返事有難うございます。参考文献までつけていただいたことを感謝しています。「脳と心」は以前読んでいますが、違和感がつよく終わりまで読めませんでした。 心に関わりのある人たち 哲学者から宗教家 そして一般の人たちの この問題に対する出発点は「心は人類だけの高等な精神活動」という思想のように思います。私は 心も他の機能 たとえば手を使うなど と同じように 何らかの機能的原点があってそれが次第に進化し、人間で開花しいてるだけではないかと考えています。 それは いきなり人間で心を問題にするのではなく 凡そ心など無いと考えられている生物の行動の中に 心の原点を求め そこから 進化の様子を見てゆくべきではないかという考えです。しかし、この「危険思想」は既存の哲学・宗教・一般人の常識への挑戦ですから、そこらに沢山転がっている解説や論説 論文などは役に立たないのです。「異論」を唱えるからには まず自己矛盾がないことを確認しなければなりません。そして説得力を備えるためには 裏付けとなる理論も必要です。既成の思想に対抗するための論理構築も必要です。そのためには十分な時間が欲しいのです。考えているうちに挫折しそうな予感すら抱いています。
主題を発表なさる前にこの事情を勘案していただけると良かったと思います。


From: nakatani
 

4月度例会のテーマについて

 投稿者:中谷義雄  投稿日:2011年 3月22日(火)15時40分29秒 60-56-220-118f1.osk2.eonet.ne.jp
返信・引用
  水野会長殿へ
失礼しました。
この問題は現代人にとって重要なテーマだと思い、水野先生にぜひお願いしたいと思って挙げた仮題でした。この大きなテーマを展開できるのは、アメ研では水野先生をおいてほかに居ません。そのテーマに関する著書を少し調べてみましたが、私が思っている核心にはふれられていませんでした。(添付ファイル4)
 

リーマンショック以降について資料の送付

 投稿者:奥村隆  投稿日:2011年 2月28日(月)01時26分52秒 58-188-23-212f1.osk2.eonet.ne.jp
返信・引用
  ご返事(原稿添付)が遅延しまして、申し訳ありません。
パソコン2台中、1台がダウン(このダウンした方にファイルあり)、
この連休でやっと障害対応できました。遅くなりましたが原稿ファイル
添付します。 今週末2/18の例会は,途中中座の可能性もあります。
*添付ファイル:2010.12.10新アメニティ研究会資料aaa.doc

◇奥村 隆(2011.02.14 12:30)
 

奥村隆さまへ

 投稿者:中谷義雄  投稿日:2011年 2月28日(月)01時23分38秒 58-188-23-212f1.osk2.eonet.ne.jp
返信・引用
  2011年1月17日12:12 nakatani <silverunion@jx.moo.jp>:

奥村隆様へ
現在ホームページを編集しています。奥村さんのレポートを「RDF」「OCR」でスキャンしましたが、原稿の書式がくずれて修正が困難ですので、そちらのファイルをそにまま挿入したいと思います。。12月月例会の折に奥村さんのレポートをメール「添付ファイル」で送信して頂けるようお願いしておりましたが、よろしければページに掲載する「リーマンショック以降」のレポートを添付ファイル形式で送信願いして頂けないでしょうか。中谷義雄
 

尖閣の資料を拝見しました

 投稿者:中谷義雄  投稿日:2011年 2月27日(日)23時48分40秒 58-188-229-21f1.osk2.eonet.ne.jp
返信・引用
  尖閣諸島の53ページにわたる資料をEメールで拝見しました、有難うございました。  

尖閣諸島の歴史について

 投稿者:水野正彦  投稿日:2011年 2月27日(日)23時36分8秒 58-188-229-21f1.osk2.eonet.ne.jp
返信・引用
  尖閣問題の歴史に関して私なりに調べたことがあります。歴史を考察するには1600年代からではたりないような気がします。(ホームページに資料送付)  

尖閣のことで

 投稿者:水野 正彦メール  投稿日:2011年 2月26日(土)21時50分49秒 119-228-155-58f1.osk2.eonet.ne.jp
返信・引用
   

「脳と心」を課題とすることについて

 投稿者:水野正彦  投稿日:2011年 2月20日(日)11時45分52秒 58-188-31-199f1.osk2.eonet.ne.jp
返信・引用
  お忙しい中からのお返事有難うございます。参考文献までつけていただいたことを感謝しています。「脳と心」は以前読んでいますが、違和感がつよく終わりまで読めませんでした。 心に関わりのある人たち 哲学者から宗教家 そして一般の人たちの この問題に対する出発点は「心は人類だけの高等な精神活動」という思想のように思います。私は 心も他の機能 たとえば手を使うなど と同じように 何らかの機能的原点があってそれが次第に進化し、人間で開花しいてるだけではないかと考えています。 それは いきなり人間で心を問題にするのではなく 凡そ心など無いと考えられている生物の行動の中に 心の原点を求め そこから 進化の様子を見てゆくべきではないかという考えです。しかし、この「危険思想」は既存の哲学・宗教・一般人の常識への挑戦ですから、そこらに沢山転がっている解説や論説 論文などは役に立たないのです。「異論」を唱えるからには まず自己矛盾がないことを確認しなければなりません。そして説得力を備えるためには 裏付けとなる理論も必要です。既成の思想に対抗するための論理構築も必要です。そのためには十分な時間が欲しいのです。考えているうちに挫折しそうな予感すら抱いています。
主題を発表なさる前にこの事情を勘案していただけると良かったと思います。


From: nakatani
S
 

4月度月例会の課題について

 投稿者:水野正彦  投稿日:2011年 2月20日(日)11時37分38秒 58-188-31-199f1.osk2.eonet.ne.jp
返信・引用
  1月例会は参加できずご迷惑をおかけして申し訳有りませんでした。4月の例会に課題を頂きましたが、突然考えてもいない主題があげてあってびっくりしています。この主題は大きすぎて なおかつ重すぎて 私には無理です。11月例会で喋った中に 次の話題展開のきっかけを潜めてありますが、そのなかに心と脳は入れていません。もし 脳と心で話をするなら 膨大な量の文献から読み直さなければいけませんので、少なくとも1年以内では無理です。
何よりも、私の質問には誰からも反応してもらえず、今後どのような態度を取ればよいのか混乱におちいっていて 例会で話しをするどころではありません。あしからず。

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○月例会スケジュール
  2011年4月度月例会=(予約出来ていません。)「仮題・脳と心」水野正彦氏堤題

 

皆様にお尋ねします

 投稿者:水野 正彦メール  投稿日:2010年12月28日(火)22時14分13秒 119-231-229-125f1.osk2.eonet.ne.jp
返信・引用
  会員のみなさんへの質問です。
私の発言で座がしらけるのはなぜなのでしょう?.
  小出さんの頃から 私が発言すると座がしらけることがありました。12月例会の時  もそうでした。話にもならない低水準の発言だから? 想定外の発言なので返す言葉  もない?
小出さんはこの研究会から独自の情報を発信することを望んでおられました。衆知の問題を世間並みの水準で話し合った記録では独自の情報発信といえませんし、そのような集まりは勉強にはなりません。はっきり言って時間の無駄のような気がします。
衆知の問題の中に隠れている  さらには意図的に隠蔽されている問題を探り出して警告することに意義があるのではないでしょうか。今までこのような意図でいろいろな爆弾を仕掛けたのですが、不発でした。
それとも 懇親が主目的なのでしょうか。
私が今後どうすべきか みなさまのご意見を基に考え直すつもりです。
 

アメ研について

 投稿者:中谷義雄  投稿日:2010年12月16日(木)14時51分5秒 121-82-130-168f1.osk2.eonet.ne.jp
返信・引用
  然り、たしかに堤題者が自身の専門分野を発表する形体では、いわゆる発表会か講習会で終わってしまい、研究会ではありませんね。各位は予め研究内容を纏め上げた上、席上で持論を交換すればよいでしょう。専門分野の方の話もお聞きして、より高度な視点で所感、論評を談じることが望ましいと思います。
また次回以降の研究テーマは席上で選択し決めればよいと思います。
 

Re: アメ研の研究の成果について

 投稿者:水野 正彦メール  投稿日:2010年12月15日(水)22時45分41秒 121-87-2-129f1.osk2.eonet.ne.jp
返信・引用
  > No.1[元記事へ]

中谷義雄さんへのお返事です。

> 月例会のテーマに沿って意見や持論が出て盛り上がり、当日の課題提唱者の研究結果が発表された。しかし提示された問題をどう解決するかへのフォローが無かった。問題を解決するにはどうすればよいか追及が欲しかった。



フォローについて
 フォローがないのは不満 と記しておられますが、この感想は講習会と研究会についての混同があるためと思います。
講習会では参加者は主題について全く白紙ですから、微に入り細にわたり説明し さらに起こりそうな問題に対処する方法まで指導しなければなりません。何も知らない人を一定水準まで引き上げるのが目的だからです。
それに対し 研究会は 参加者すべてがその問題に関して対等です。それどころか もっと実力を備えた人もいるでしょう。そのような人々が互いに学識・経験を交流しあって さらに高いものを目指すものと心得ております。 結果として参加者の判断が共通することはあるでしょうが 研究会として一つの判断を決定し参加者を導くことは おかしいことです。


アメニティー研究会も研究会と称しているのですから 一方的にはなしを聞いて帰るだけでは不満でした。それで 11月の例会ではいくつかの試みをしました。
1.参加者が対等であることの確認
    予め主題をお知らせしそれについて考えをまとめていただくこと はじめにそのまとめを発表し
    ていただいたのはそのためです。
2.一般的な話題を避けてみました
  コミュニケーションについての話題は「いかにすればよいか」ばかりです。なぜ必要  なのか
   その目的を把握すれば 自ずと解決するのではないかと見ています。そこで どうすればよいか
    というアドバイスは省きました。フォローがないといわれる根拠の一つではないかと思います。
    ことに当たって処理するのは 各人の主観の作業です。
  私は主観の領域まで他人に踏み込まれたくありませんし 自分がその過ちを犯したくないのです。
2.世間的常識を無視した発言も試みました。
  議論を誘発したつもりでしたが、気づいていただけなかったのでしょうか。たとえば  コミュ
    ニケーションには記憶が重要な意義を持っていること 心について コミュニケーションといのち
    について 心と「私」 故人とのコミュニケーションなど また  記憶が階層構造ではないか   記憶と情動・クオリア 死は存在するのかなど 次の話題の伏線として挟んだのですが。

私は 研究会の意義に懸けて あえて挑戦を試みました。今後も続けるつもりです。
 

11月29日中谷氏 脳障害者介護に反

 投稿者:水野 正彦メール  投稿日:2010年12月12日(日)10時11分36秒 121-87-44-103f1.osk2.eonet.ne.jp
返信・引用
  脳障害のある患者さんの介護についてのご意見、なにか経験上のご意見なのだと想いますが、介護する人とされる人のそばにいて 客観的に「観察」していた立場からは少し違う見解を得ています。
 患者さんの過去を知っている家族には 記憶と現実の齟齬が最大の苦痛になっていました。多くの場合 それは親子の関係ですが、大事な親が崩れてゆくのが 悲しく、許せなくなくなり それがいろいろな問題のきっかけになっていました。親子の場合は過去の記憶がむしろ障壁になる、その点では ヘルパーなど 過去を知らない人の方が現状を素直に受け入れていました。介護している間にどのようなひどい場面があろうとも 役目を離れたら忘れている 少なくとも 心の脇へ寄せておくことができますが、家族はその切り替えができません。私たちの役割は患者の治療が本筋ですが、在宅の患者は原則として経過観察だけですから 実際の治療行為はほとんどありません。むしろ介護する家族の支援が中心でした。その一つに 患者を客観的に眺める 少なくとも病状を患者の過去の思い出から切り離す時間を作ることを提言し そのための支援をしてきました。
患者の過去を知らないものには介護に支障があるという考えに全面的には賛成できないのは そのような経験があるからです。
 一方で 患者の過去について何も知らないヘルパーには無理な仕事でしょうか。
コミュニケーションについての提言に示した 「相手を含めた環境」を思い出してください。患者の過去について何も知らなくても 今の状態 本人の状態のみならず、いる場所 家族との関係 現在の症状 さらに 病歴でわかる範囲でも過去の情報は得られます。たとえ限られた範囲でも その中で「相手をわかろうとする努力」は可能です。それは 言語としての発信がなくても 極端な場合は植物状態(植物人間はやめてください)でもそれが発信されている情報の一つです。その上で「相手にわかってもらう努力」が可能です。ほとんどすべてのヘルパーはそれをきちんと果たしていました。法による規制がなければもっとよい仕事をしてくれるでしょう。
 コミュニケーションというとき お互いが理解し合って仲良くすることだといわれています。仲良くなれなければコミュニケーションの失敗・不成立とされます。しかし、私はそれもコミュニケーションのひとつの段階だと考えます。失敗として捨ててしまえばそれきりですが、悪い仲でもつながりがあれば 改善の可能性は潜んでいます。この前の説明を思い出してください。相手が何も変えていなくても背景となる環境情報の変化で相互の主観の変化が起こりうる  そしてそれが相手をわかろうとする姿勢や相手にわかってもらおうとする姿勢に変化を起こすと期待されるからです。これは 日常生活の場面でいくらでも体験していることです。
 

月例会について提案

 投稿者:中谷義雄メール  投稿日:2010年12月 3日(金)18時39分3秒 121-82-136-88f1.osk2.eonet.ne.jp
返信・引用
  月例会での各位の意見編集について
皆さんが述べられたご意見は、音声録音をしていますが、記録を文字化するだけでは、月例会での模様をそのまま掲載する結果に終わり、ページを覗いた外部の人から見れば同好会の集まりと受け取られると思います。皆さんの発言内容(ご意見)は体験談を含め、主題の定義と実態を述べるにとどまり、それ以上の進展がないまま終わっています。これらの、発言録音の内容を同一範疇に編集しても、同様と思います。研究会の趣意からも不満足感は拭えません。(録音音声の文字化は編集作業が嵩み、編集によって当人の論理が正しく表現できない事態も生じることを懸念)
月例会の所要時間が2時間ということもあり、会場で内容をこれ以上進展させることに無理があります。守口文化センターの会場使用契約時間は午後1時から午後5時まで4時間あるので、開催時刻を午後1時からに延長することも必要かとも思います。後半の2時間を利用し主題を完結させる案を提案します。
※また、ホームページを利用できるように、ホームページに会員同士が簡単に書き込める「議論交換のページ」を設置しましたので、大いに利用して頂きたいと思います。
さらに長文の場合「アメ研投稿のページ」も利用できるようにしてあります。
 

脳障害者の介護

 投稿者:nakataniメール  投稿日:2010年11月29日(月)19時17分29秒 121-82-136-230f1.osk2.eonet.ne.jp
返信・引用
  故人の履歴ファイルは死後以降CLOSEDされ、片側の想い出のみが存在します。脳障害者の介護では、患者の過去の履歴を知ることで、現在向き合っている行動、言動を理解出来るのではないかと思います。やはり脳障害者の介護は、関わりのある履歴を知る人が行うべきではないでしょうか。そうすればコミュニケーションが機能すると思います。一方的なコミュニケーションしかとれない他人の介護を受けることは患者にとって不幸と言えでしょう。
 

アメ研の研究の成果について

 投稿者:中谷義雄メール  投稿日:2010年11月21日(日)00時24分59秒 121-82-136-209f1.osk2.eonet.ne.jp
返信・引用
  月例会のテーマに沿って意見や持論が出て盛り上がり、当日の課題提唱者の研究結果が発表された。しかし提示された問題をどう解決するかへのフォローが無かった。問題を解決するにはどうすればよいか追及が欲しかった。  

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